読谷村史の歩み【3】
思い出
最初の村史編集事務は、波平栄善が企画課で兼務で見ており、事務所は本庁二階の倉庫の一角で資料収集作業をスタート。波平は後に泉川と北九州の毎日新聞社等に不鮮明か所の確認作業に勤しんだ。文献編は当初曽根が担当し、後に泉川が後を継いだ。首里にあった頃の史料編集所には、矢沢と小野が詰めて新聞集成の沖縄県・中頭郡・読谷山関係記事検索作業をした。1985(昭和60)年1月に編集委員会を立ち上げ発刊計画を作成し、戦前新聞集成は上原が引き継ぎ、昭和60年8月に発刊を見た。虫眼鏡での検索で飽き飽きしており、自宅で地方紙を開く気にもならなかった。
続いて、1988(昭和63)年3月には泉川が担当した文献編を発刊。執筆者の追っかけ(ストーカー行為=原稿の催促)が思いだされる。続巻の民俗編は知花が担当し、多くの村民を巻き込んだ。平成7年3月に発刊。
続く戦争編は新聞集成を終えた上原が担当、沖縄県の平和の礎刻銘事業もあり悉皆調査を実施。後を引き継いだ小橋川が平成14年に上巻、翌年に下巻を発刊、その上下巻は検索エンジンをつけて『読谷村の戦跡めぐり』とともに読谷村公式ホームページに掲載した。NHKスペシャル「沖縄・よみがえる戦場読谷村民2500人の証言」(2005年6月18日放映)としての放送も相まって、全国からインターネット注文が殺到した。戦争編がスタートした当初村史編集室として「戦争展」を企画提案したところ山内徳信村長は全庁的な取り組みを指示。1988年12月8日第1回読谷村平和創造展を開催した。
現在、豊田が統計編を担当しており、発刊を間近に控えている。続巻の移民編は泉川から玉城そして辻と引き継いで現在に至っている。昭和60年には村史編集室が資料館裏に移転しており名嘉真が兼務していたこともあり、資料館の展示や史料収集のお手伝いをする機会が増えていた。歴代のスタッフの中には親子二代の貢献もあった。昭和59年に半年間臨時をした藤本とその娘愛美(当時9歳)は、平成11年から5年間嘱託職員を務めた。後続巻の芸能編・言語編・教育編・人物編・戦後行政編・写真編の資料収集・調査などは昭和60年頃から継続実施していて、多くのスタッフがかかわりそれぞれの思い出を温めている。

沖縄県地域史協議会(2011年)『琉球・沖縄の地域史研究-沖縄県地域史協議会の30年-』より抜粋