2026/04/07

読谷村史の歩み【1】

はじめに

 『読谷村誌』(A5判、314頁)が発刊されたのは1969(昭和44)年3月のことで、村民の諸活動が制限された米軍統治下という複雑な社会状況のなか、可能なかぎり調査、資料収集活動を展開し、「読谷村の歩み」を読みやすく網羅したとする同誌の発刊は画期的なものであった。その『読谷村誌』に先行して『村の歩み』(1957年12月発刊。A5判、178頁)、『村治十五年』(1962年5月発刊。A5判、171頁)を発刊したが、いずれも村の戦後史を綴ったものであった。村誌発刊から15年の歳月が経過し、新しい史料の発見等により急速な発展を遂げた地域史研究は、地域誌の再編と改定を要求していた。このことを踏まえて、先行誌の多大な功績を生かしつつ新しい『読谷村史』を編集することになった。

村史編集事業のスタート

 折しも、1978(昭和53)年11月4日、那覇教育会館において、21市町村他の参加をもって、「地域史協議会」の第1回総会(設立総会)が開催された。同協議会は、沖縄の各地域の個性に根ざし、地域の文化を豊かに展開させることを目ざした「地域史づくり」(市町村史及び部落誌編集)を進めよう、という共通の志をもって、各市町村の関係者から現状の報告と、今後の課題が熱っぽく語られた。ちなみに、読谷村からは山内徳信村長が参加した。1982(昭和57)年10月9・10日の日程で開催した第1回地域史まつりでは、読谷村もパネル展示に参加(県及び18市町村)、現状を報告した。

 読谷村史としては、沖縄県史や那覇市史等先行する市町村史編集体制、巻構成等基本的なことの情報交換を重ね、学びつつ、編集事業をスタートさせた。1981(昭和56)年に読谷村史編集室を発足させ、明治期から沖縄戦までの新聞記事の収集と文献資料の収集に努めた。4月13日には規則第9号「読谷村史編集委員会規則」を制定、7月には企画課に村誌編集のための嘱託員として故曽根信一氏を迎える。翌年82年4月、編集委員会の編成及び各種委員会の組織案と全6巻からなる編集年次計画案を作成。嘱託員は2名体制となる。その間、図書目録の整理と近代新聞集成について計画立案。6月から沖縄県史料編集所にて新聞記事を検索して戦後新聞記事目録(29,000件)を作成。それまで、役場庁舎2階プレハブに事務所を置いていたが、読谷村立歴史民俗資料館(1975〔昭和50〕年5月18日開館)に歴史及び民俗に関する文献資料も揃っていることから、資料館裏に簡易的な資料室(84〔昭和59〕年4月1日)を構え、資料館の名嘉真宜勝館長を事務局長とし、これまで職員は兼務であったが、長浜真勇氏が専従職員として配置され、臨時職員4人で本格的な編集作業に着手した。

1985(昭和60)年1月22日、記念すべき第1回読谷村史編集委員会が開催され、編集委員13人に辞令が交付され、委員の中から新崎盛繁委員長(教育長)、副委員長の比嘉隆氏がそれぞれ選任された。読谷村史の発刊計画は複数巻の資料編をまとめて後、第一巻の通史編「読谷の歩み」を昭和68年に編集発行することを目ざした。

第1回小委員会 1985年6月17日 旧村史編集室(現在村立美術館の建つ所)にて

沖縄県地域史協議会(2011年)『琉球・沖縄の地域史研究-沖縄県地域史協議会の30年-』より抜粋

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