写真で時間旅行
読谷村史編集室ではこれまでに様々な資料や本を発行してきた。もちろん現在も読谷村に関わる事柄を日々丁寧に記録・収集し、編み続けている最中だ。
資料や本を制作する際に、思いつきの勢いだけで発行することはできない。資料や本の完成というゴールを見据え、下準備が必要になる。
2026(令和8)年2月に発行した『読谷村しまくとぅば辞典』は足掛け50年の歳月をかけ日の目を見た。多くの村民の皆さんのご協力と出版に関わった人々の汗と涙の結晶といっても過言ではない。
辞典制作の下地となった、村内民話調査、『読谷村史』民俗編発刊のための調査、村内全集落での言語調査、読谷村文化協会読谷山シマクトゥバ愛さする会の活動等、その他の大小様々な調査を記録し、資料を収集してきた。その結果として、図書、史資料、写真、文書、映像、音源など膨大な資料が、辞典の血となり肉となった。
資料や本の発行後に調査資料などがお役御免になるわけではなく、読谷村の大事な財産として保存・保管し、今後も発行を控える『読谷村史』を下支えする土台となっていく。
読谷村の大事な財産として保存・保管されてきた膨大な資料は地域の記憶だ。
後世に伝え、学習・研究・地域振興に役立てることを目的とし、デジタルアーカイブウェブサイト「ゆんたんざアーカイブ」が2026年2月に公開された。
今年度は特に「写真資料」に注力し、選定、情報調査などを行い、公開作業を進めている。情報調査の際には、読谷村史編集室の既刊資料や読谷村役場発行の『激動 読谷村民戦後の歩み』(1993年3月)、各字誌などを片手に奮闘している。
時間をかけて形になった資料たちと、これから世に出していく資料を合わせて眺めると「資料の価値」を再認識させられる日々だ。いつの時代も身近すぎる物や事には価値を見出しにくい。しかし、丁寧に記録・収集・整理された資料たちの「価値」は、物や事が失われそうになるその時にこそ真価を発揮すると感じている。


今回公開された写真資料をとおし、過去と現在を行き来しながら時間旅行を楽しんでみてはいかがだろうか。日常に新たな価値を感じられること間違いなしだ。
さて、沖縄の年中行事は現在でも旧暦をもとに行われるものがある。2026年9月25日は旧暦8月15日・八月十五夜にあたり、現在も行事が行われる字もある。村内で行われた過去の八月十五夜の写真と、下記「ジューグヤー(十五夜)」(『読谷村史』第4巻資料編3 読谷の民俗 下 138p から抜粋)を合わせてみてもらえれば、年中行事がより興味深く感じられるはずだ。
ジューグヤー(十五夜)
フチャギ(細長い餅に小豆をつけたもの)を作り、神仏にお供えする。このほかに料理も作り、月見(お月御願)をする。字のアシビナーでは獅子舞を演じたり、ムラアシビ(芝居)が青年団によって行われた。渡慶次では、昔からムラアシビがあり、かつてはムラヤー、のちに公民館、集落センターで行われてきている。特に大正末期から昭和初期にかけては、他字とのトゥイケー(取替え)が盛んに行われてきた。しかし、昭和14、15年頃からは国家非常時のため中断されていたが、戦後の昭和22年の8月、ムラアシビが復活し、戦乱で傷ついた人々の心を慰めた。
昔は出演者は男性のみだったが、昭和12、3年頃から女子青年の出演もはじまった。
準備は6月25日のカタノージマ(角力)が終わって間もなく、二才頭(ニーセーガシラ)が集まり、ムラアシビの協議をし、決まったらその足で区長宅へ行き、ムラアシビをさせてくれるよう願い出る。区長はそれを戸主会で諮り、決議を経て許可が下される。それは経済的な面と事前事後の精神面にも影響を与え、農作業に支障をきたす恐れがあると考えられたからである。
許可が出ると、まず龕屋の上(ガンヤー ヌ イー)に青年を集めてキィーシラビ(声調べ)を行い、配役が決められ、練習に入る。実演当日は舞台の前に各戸から持ってきた筵が敷かれ、その上で馳走を食べながらの見物であった。アシビは棒・獅子舞・長者の大主の順で幕開けをし、組踊・歌劇・端踊・狂言が上演され、最後にまた獅子舞で幕を閉じた。組踊は村原(ムラバル)(「大川敵討」)が引き継がれてきた。
渡慶次では7月16日と8月15日に行い、9月に最後のワカリアシビが行われた。他字とのトゥイケーは瀬名波・儀間・高志保・長浜・波平・座喜味との間で行われた。
楚辺では、7月下旬から8月1日の間にスーダチといって予行演習があった。野里(現嘉手納町)との間でトゥイケーがあり、昭和3年を最後に途絶えていたのを、昭和62年に交流が復活した。波平・長浜との間でも行っていた。
渡具知では、8月に村芝居を行った。出し物は「今帰仁由来記」や組踊「護佐丸(「二童敵討」)」や「銘苅子」などであった。しかし、昭和12年頃を最後に非常事態突入のため中止になり、その後も復活せず現在に至っている。それらが演じられていた頃の渡具知の様子を記述すると次のようになる。
まず、村芝居は最初に二才頭(35歳)によって発起され、二才衆(ニーセーシュー)(15歳~35歳)や字常会で芝居を行うことが公表される。常会の同意が得られ、開演が決まると式が行われる。それは二才頭の六尺棒、三尺棒を先頭にスーマチ(総巻)を行うというものである。それがすむと、二才頭と村役員によって村屋で村芝居の内容や日取りが話し合われた。
期日と内容が決まると、根所の神棚とビジュルにそのことが報告され、無事上演されるように祈願した。2か月位の練習期間があり、配役やその他の役割分担は二才頭の間で決められる。練習のあと2回のスーダチ(試演)が行われた。
当日は二才頭と村役員が根所に行き、神棚とビジュルに公演の無事を再び祈願する。それから根所からアシビナーまでの道を字の象徴である旗頭を先頭に、法螺貝や銅鑼を打ち鳴らしながら道ズネーイ(行列)をする。旗頭を舞台前に立てて本番に入る。しかし、前述のとおり、現在は行っていない。
またトゥイケー(交換)も行った。それは規模の似ている村内の伊良皆、村外では野国、野里や字嘉手納(現嘉手納町)で、大正末期から昭和初期にかけて行われた。相手が渡具知に来る時は、各戸に対し豆腐半箱の提供を依頼し、二才グムチ(予算)からは、豚2頭を買い、それを屠り、他に酒・米・小麦粉などを買い求めてそれでもてなした。当方が向こうへ行く時も同様の接待を受けた。
ムラアシビは、座喜味や渡慶次・瀬名波・伊良皆・楚辺・波平などで現在も行われている。
『読谷村史』第4巻資料編3 読谷の民俗 下 138p より


村内各自治会発行の自治会だよりを参照すると、2026年9月25日(旧8月15日)八月十五夜の当日に渡慶次の獅子之御願が現在でも行われていることがわかる。御願はほかの自治会でも行われているのかもしれない。
旧暦で行事を実施すると平日にあたることが多いので、多くの人が参加しやすいように、八月十五夜の当日ではなく八月十五夜の前後に日をずらしたり、従来の形式とは様子を変え自治会のまつりとして行事を行う地域もある。八月十五夜に催された行事(アシビ)の形は時代のライフスタイルに合わせ変化していくかもしれないが、地域の住民が一同に集い余興を楽しむ風景は今も昔も変わらない。
